清盛の感想、各人物について語っていこうと思ったんですけど。
藤原頼長について語ろうとして思ったのが、この人のことがよく理解できないということでした。
誇り高き摂関家の出で、ただひたすらに世の乱れを正すためにストイックに生きてきた人。
それはわかるのですが、それと同時に「身分の低いものの話は基本的に聞こうともしない」という一面もあるんですよね。
今に生きる自分たちからすれば、能力のある人間はどんどん採用していったほうが、世の乱れを正すことが出来る。
彼の目には摂関家が栄華を取り戻し、摂関家中心の政治で世を正すことしか見えてない。
とても優秀で、ただひたすらに国のことを思っている人なのに、なんでこんなに視野がせまいんだろうなと。
で、色々と彼について考察していった結果。
なんかこの人、ベジータに似ていないかと。
超名門出で、それに相応しい教育を受けた天才
自らの家と己に高い誇りを持っている
この二人の共通点をあげていきますと…
ベジータは戦闘民族サイヤ人の王子で、王子にふさわしい教育を受けました。
さらに、惑星ベジータの名を与えられるほどに天才的な素養ももっており、結果としてサイヤ人として別格の戦闘力を誇っていました。
頼長も、院政が始まる前は政治のトップにいた藤原摂関家の次男として生まれ、摂関家の人間としてふさわしい教育を受け、書物に親しんで育ちました。
さらに、「道長」「頼通」という摂関家の栄華の象徴の二人の名を与えられるほどの天才で、まさに超エリートにふさわしい資質を備えてました。
しかし、悲しいことに。
サイヤ人は滅ぼされ、惑星ベジータの王子という名声は実質を失いました。
摂関家も同じく、院政に頂点の座を奪われてしまっていました。
で、彼らの目的はというと。
超エリートで天才の自分が頂点に立つことで、一族の栄華を再び取り戻すこと。
そうやって、あるべき秩序を取り戻すこと、なんですよね。
そして、彼らは超エリートでそれに相応しい天才であるがゆえに、下賤な出の人間を徹底的に下に見ます。
でも、仕方のないことです。
自分が優秀であることが、名門の人間でそれに相応しい教育を受けた人間こそが優秀であるという証明になってしまっているから。
だから、下賎な人間と手を組むのは、その高すぎるプライドが許しません。
ベジータが「お前らと手を組むくらいなら死んだほうがマシ」というように、頼長は武士を「王家の犬」としか見ていないので、手を組んだり策を採用したりしません。
で、その高すぎるプライドが自滅を呼ぶわけで…
ベジータなんかは、強くなったらすぐに増長して相手を強化して悲惨な目にあって。
でも全く学習しません。
頼長も、挙兵せざるを得ないくらいに追い込まれたのに、為朝の意見なんて田舎武士の意見だからと却下。
追い込まれてるんだから、もっと柔軟に考えようよ…
さらに、彼らは「己が一族の栄華を取り戻すために生きている」という状態なので、めちゃくちゃストイックで娯楽や贅沢にはほとんど興味が無いんですよね。
実は、天才に見えてとてつもない努力家。
ベジータはひたすらに修行にあけくれて娯楽に興味がないし、頼長はひたすらに世を正すことに邁進して贅沢とか考えない。
なんかこう考えると頼長という人が見えてきたかなぁと。
上級貴族がそれに相応しい意識を持ち、世を治めることが理想
彼は結局、「自分は超エリートであり、エリートはエリートとしての誇りと責任を持って世を治めなければならない」と考えていたんでしょうね。
上級貴族は、上級貴族である以上、世を治めるという重い責任がある。
上級貴族は、それに相応しい教育を受け学問にいそしんでいるので、学のない武士や下級貴族と違うわけですし。
悪く言えば、政治は上級貴族だけのもの。
良く言えば、政治は上級貴族が強い責任をもって行うものであり、下賤の者が軽々しい気持ちで関わるべきものではない。
彼は、それだけの覚悟を持って政治に臨んでいるわけですね。
だから、覚悟をもたずに自堕落にしてる貴族が許せず、粛正対象になるわけです。
まつりごとを行う立場の人間にはとてつもなく重い責任がある。
にも関わらずその責を果たさぬとは何事ぞ、と。
それゆえ「つとめよ」という言葉が出てくる。
己の責任を全身全霊をもってつとめを果たそうとしているストイックさは美しすぎます。
こんな人が世を治めてくれれば安心して暮らせるのかも知れません。
でも、美しすぎて凡人にはとても真似出来ません(;´Д`)
そしてその理想にひたすら真っすぐだったゆえに、他人から煙たがられて政治の場から遠ざけられてしまった、と…
まぁそのあとに実験を握ったのが、頼長とは別の方向だけど、同じような気持ちで政治に向かった信西だったわけですが…
ふたりとも世を正したいという気持ちは同じだったのにねぇ…
あ…男色について語り忘れてました(笑
まぁアレはネタ成分として重要でしたけど、当時の貴族社会では割と一般的だったみたいですねー
専門的なことを言わせてもらうと、平安貴族のやっていた「政治」は、和歌を詠んで、言霊で統治することなんですけどね。
実務を放り出した結果、治安が悪化。農民が自衛の為に武装したのが「武士」。
だから、海賊を独断で追い返した地方役人を命令違反で罰したりしてます。
元寇でも功績を認められたのは祈祷をした僧侶だけだったのは有名ですが。
だから、摂関政治や院政というのは、実質的には国家予算を藤原氏と天皇家のどちらが手にするかの綱引きなので、今の感覚で「政治」と考えると、ヘンなことになるかも。
☆結城タカさん
なるほどー、平安貴族ってそういうことしてたんですね…
あんまり実務的なことはしてなかったのかしら。
昔の中国とかの政治とかはどうだったんだろう…