真田丸にはまっている今日このごろ。
先日、大阪夏の陣の真田信繁関連の史跡をめぐってきましたー
行ってきたのは
・大阪夏の陣で真田信繁が本陣にした茶臼山
・真田信繁終焉の地・安居神社
・近くにある遺骨で作られた仏像のある一心寺
ですー
そんなわけで、かるくレポート。
大阪夏の陣で信繁が陣を構えた小高い丘
天王寺公園内にあります
茶臼山は、大阪の天王寺駅すぐそばにある天王寺公園の中にありますー
天王寺公園は何度かいったことがあるけど、そんなところにあったとは…
天王寺駅から降りた後、天王寺公園に入って、旧黒田藩蔵屋敷の門をくぐっていきますー
そーいや、今回の大河では黒田官兵衛が影も形もありませんね(;´Д`)
なんか、小田原開城の手柄も信繁が奪っちゃったし…
まぁあれは、時代考証の人いわく、信繁は非公式な使者で、実際にそういう非公式な使者はいたそうな。
で、公式の使者は官兵衛という設定みたいですけど、それならせめてナレーションで官兵衛の名前くらい出して欲しかったなぁ…
で、10分ほど歩いて到着ヽ(´▽`)ノ
ぶっちゃけ、特に何があるわけでもありません。
ただの小高い丘です。
まぁこんなかんじで解説がありますー
こんな絵もありましたが、、なんか戦国無双とかBASARAのせいで、真田幸村は若いイケメンのイメージが染み付いてしまってます(;´Д`)
ついでに、信繁といえばいいのか、幸村といえばいいのか、悩む…
せっかくだから、その辺にいたおじさんにお願いして撮ってもらいました。
涼し気な格好してますが、暑くてたまらなかったです><
階段登っても、特に何もありません(笑
まぁ、ちょっと小高い丘の上に陣をかまえてたんだなーとか、大阪城との位置関係を楽しんだりとか出来ます~
ここから大阪城は数キロあって、歩くと若干遠いんですよね。
信繁が一本松の下で戦死した地
で、茶臼山から歩いて10分ほどのところに安居神社があります。
ここは「真田幸村戦死の地」として有名なのです。
信繁はこの神社の一本松の下で戦死したそうで。
間違いなく真田丸最終回の舞台になって、紀行で紹介されそうですねー
予習ができて良かったですヽ(´▽`)ノ
なお、その松はすでにありませんが、別の松が植えられています。
そんなわけで銅像と戦士の碑がありましたー
やっぱり、ゲームのせいでイケメンのイメージが染み付いてしまっていて困ります(笑
ちょっと時間がなくて一緒に撮影できなかったのは残念。
ここの神社、16時にしまっちゃうんですよ、早すぎ><
気付かずにいったので、ついたのが15時50分くらいだったのです。
すぐ近くにある珍スポット
あと、近くには一心寺というお寺があります~
ここはB級スポットを検索した時に結構でる場所でして。
写真の仏像は、じつは骨仏で、遺骨を集めて作られた仏様なんだそうな。
ここのお寺、山門が異常に現代的でなんだこれ感(笑
天女様の彫刻もありましたー
極楽ではみんな、すっぽんぽんで過ごしてるんだろうか…
そんなわけで、史跡巡りレポートでしたー
こーいう合戦関係の史跡ははじめて行ったのですが、
「ここに陣を構えたのか、たしかにまわりがよく見える」
「それからここに来たのか」
というかんじで、自分の足で歩いて楽しむ感じですね~
行っておいたおかげで、真田丸の終盤戦を見た時にだいぶテンションが上がりそうです(笑
安居神社は通天閣の近くにありますし、そこから歩いて日本橋のヲタ街や道頓堀のグリコの看板などにもいけますんで、気になる人は、大阪観光した際、ついでに行ってみるといいかもしれませんね~
真田幸村にまつわる史跡がなんと天王寺駅のすぐ近くにあったとはこれまた驚きですよゆきにゃーさん。
でも天王寺から大阪城って結構まだ遠いですよね、当時は当然徒歩もしくは馬を走らせるしかないですから、時間かかりそうです。
一心寺というのも初めて知りました、風変わりなお寺なんですね。
それにしてもお寺とは縁遠いような現代的アートな建物が印象的です。自分は昔、生駒山の天宝寺という場所がお寺としてすごくインパクトあって面白かった記憶がありました。
☆パッショーネさん
こんなとこに幸村の史跡があったって、結構知らないですよねー
大阪城まで歩くのはちょっときつい距離ですよね。
おかげで、合戦の広さのイメージがつかめますね~