鶴岡八幡宮は、源頼朝ゆかりの神社で、鎌倉幕府の宗社とされている神社なのです。
あとは三代将軍源実朝が暗殺された場所としても有名。
…たぶん、日本史で「鶴岡八幡宮で実朝が暗殺された」みたいなのを記憶して、それがぼんやりと頭に残ってて、鶴岡八幡宮というキーワードが染み付いていたんだろうなーとか思います。
ライトアップがとても美しかったです
鎌倉探訪の中でもラストに来たので、もう日が暮れていました。
お寺はだいたい5時でしまっちゃうけど、神社はそーいうのが無いので、神社を最後にもってきたのですよ。
同じことを考えていた人が多かったらしく、夜にも関わらず観光客が多かったです。
なんかすごい橋。
昔は渡れたらしいんだけど、今は柵があって渡れませんでした><
橋が横から見える角度で撮影。
普通に歩く分には橋を渡らずに脇を歩いたほうが歩きやすいですね…
まぁ見た目のインパクト重視ということなのかなぁ。
でっかいものがあると、何かよくわからなくても思わず撮ってしまいます(笑
そんなわけで、超でっかい燈籠。
こっちにあるのが東の源氏池に浮かんでいる「旗上弁財天社」です。
源頼朝の旗揚げのときに守護神として弁財天があらわれたということで、妻の北条政子が建立したそうな。
これが旗上弁財天社。
暗くて何が何やらですが(笑
後ろの方に「政子石」という子宝や安産のご利益がある石があるのですが、すっかり忘れていまして。
一通り見終わってから思い出して見ようとしたら、旗上弁財天社への道がもう閉まっていて、見られず><
まぁ、別に子宝や安産のご利益もらっても仕方ないのですが(笑
あと、なんか石の周りに柵があるみたいです。
それだと、この明るさだとわからなかった可能性大ですねぇ。
こちらが源氏池。
…真っ暗で何が何やら(笑
こっちが西の方にある平氏池。
源氏池より小さめです。
そもそも源氏池に輪をかけて真っ暗で、ただの夜の森の不気味な写真にしかなりませんでした(笑
ともかく手水舎で手や口を清めてすすみまーす。
こちらが舞殿。
頼朝に捕られた静御前が、義経を思って舞ったという伝説が残ってます。
それを見た頼朝はブチ切れたけど、北条政子のとりなしで助けられたんだとか。
北条政子、グッジョブ(≧∇≦)b
実際に静御前が舞ったのは若宮廻廊で、舞殿はその若宮廻廊の跡地に建てられたんだとか。
そんなわけで舞ってみた。
「義経好き好きー、頼朝いやいやー」とか考えながら舞ってみました(笑
暗くてさっぱりわかりませんが、ここに大銀杏がありまして。
源実朝を暗殺したときに、公暁がここに隠れていたとか。
ただ、その銀杏は5年ほど前に倒壊してしまったそうな。
倒伏した樹幹部分は、再生可能な高さ4メートルに切断し、すぐ脇に据え付けられたそうです。
その隣では残った根から生えてきて、それぞれ親銀杏、子銀杏と呼ばれているそうな。
まぁ、この画像だとさっぱりわかりませんが><
まぁそんなこんなで本宮とうちゃーく!
豪華絢爛でライトアップも美しいです。
この前にいった円覚寺が地味すぎたのもあって、差がすごいです。
ちなみにこの本宮、1828年に徳川家斉が再建したものだそうです。
それでこんな豪華絢爛なんでしょうかね。
八の字が鳩になっているんですよねー
鳩は神聖な神の使いなんだとか。
平和のシンボルって言われてたりしますが、当の鳩としては、なんのこっちゃというかんじでしょうね(笑
なんか左右に誰かの像がありましたが、誰なんだろう、コレ…
頼朝?
本宮から振り返ると、これまた絶景ヽ(´▽`)ノ
舞殿がよいかんじに見えます~
とっても綺麗なので、たくさん写真を撮りたくなります(*´▽`)
暗くて見えにくい部分も多かったけど、ライトアップを見られたのは良かったですね~
機会があれば、昼間にも来たいですね。
とっても華やかでわかりやすかったです
鶴岡八幡宮の感想ですが、この前に行ったのが地味で人も少なかった円覚寺だったので、差がすごかったです(笑
円覚寺の雰囲気もあれはあれでよかったですが、こちらのほうが観光地らしい華やかさがありましたねー
舞殿の前で静御前ごっこが出来たのも楽しかったです(笑
あと、徳川家斉の時代に再建されたものだというのは、この記事を書いていて知りましたー
もとはこんな派手じゃなかったんでしょうね。
そして、5時で閉まっちゃうお寺の後に神社に来るというコースは大正解でしたヽ(´▽`)ノ
これからはこういうコースで観光していきたいですね~
こうやって、どんどん旅が上手になっていくわけです(*´▽`)
鶴岡八幡宮といえば、鎌倉を代表する観光名所ですよね。
自分も小学校の遠足等で何度か行ったのをぼんやり覚えてます。
源頼朝をまつっているというのは、あんまり意識してなかったので、本当に由緒正しい神宮だと改めて実感しました!
☆パッショーネさん
小学校の遠足でいかれたのですねー
この辺に住んでおられたのでしょうか。
頼朝をまつってるというか、頼朝が源氏再興を願った神社ということになるのかな?