• 最初にまとめると…
  • 北条時宗の作ったお寺で静かな雰囲気でした
  • 近くにあったら通ってのんびりしたいお寺でした
  • 円覚寺舎利殿というのを日本史で覚えた記憶が…
  • 国宝の鐘は工事中で見れませんでした><

鎌倉旅行シリーズ、今回は円覚寺ですー

円覚寺というと、わたしの中では日本史で「円覚寺舎利殿」というのを覚えた記憶がありまして。
なんかわからないけど、その語呂のよさから、やたらと記憶に残っているのですよ。
その円覚寺舎利殿を目にする時がついに来たのです!

円覚寺レポート

北条時宗の作ったお寺ということで。
大河ドラマの「北条時宗」を見ていたので、親しみがあるのです。

史実では死んだはずだった兄の北条時輔が生きていて、赤マフラーつけて再登場してたのはびっくりしたなぁ…
なんかいろいろと突っ込みどころ満載だったけど、鎌倉時代後期に親しみが持てるようになったと考えると、見てよかったですねー

ちなみに時宗のお墓もあるんですけど、時間が間に合わずに行けませんでした><
今回の旅はいろいろ詰め込み過ぎた感があります(笑

とりあえず入っていきますー

受付のところでにゃんこを発見!

なんと、ナデナデに成功しました(∩´∀`)∩ワーイ
なかなか成功しないんで、とっても嬉しかったですよー
人に慣れてるんでしょうねー

で、でっかい山門に向かっていきます~

というわけで、山門を背景に撮影。

でっかいけど、正直地味!(笑
わかりやすい派手なのが好きなので、「すっごい地味」という感想に(笑

重要文化財なんだそうです。

しかし、地味(笑
渋すぎて良さがわからない…
これが鎌倉武士の感覚なんでしょうか。

山門の後ろ側を背景に撮影。
まぁ、地味なおかげで服のピンクが映えていいかも?

円覚寺は、長谷寺に比べて人が少なかったんですよ。
時間や場所の関係かなーと思ったんですけど、そもそもこの地味さは外人受けがイマイチなのかもしれませんね。

円覚寺は雰囲気的には、「地元の人がのんびりしに来るところ」というかんじですかね。
もし近くに住んでたら、時々いって落ち着くのに良いお寺というかんじですね。

なんかとにかく落ち着いていて、心を鎮めるのに向いてる場所なんですよ。
この雰囲気自体は好きなんですけど、関西から関東に来て、観光めぐりしまくろうとしているときに来ても、何か違う感があるかなーと思いました。
なんか、鎌倉上級者向けなかんじ。

ちなみに北条家の家紋の三つ鱗が見えます。
戦国時代の北条氏も同じ家紋なんだそうな。

なんか地層が見て取れる場所がありましたー

それにしても地味!(笑

で、これが、わたしの中でやたらと記憶にこびりついている「円覚寺舎利殿」ですヽ(´▽`)ノ
やっと見れました(∩´∀`)∩ワーイ

なお、普段は修行のために入れないそうな。
しょんぼり。

おかげで、なんか感動もびみょーでしたw
そもそも、よく考えると、円覚寺舎利殿がどんな建物かも知らなかったという(笑

そして、よく考えると、もっと近づいて見ておけばよかった…

方丈庭園。
この文字を見る前に、いっしょに来た人が「ほうじょう庭園」といってたんで、わたしの中で「北条庭園」と変換されてました(笑
北条氏のお寺ですからね…

とりあえず庭園で撮影。
こーいう日本庭園は、和風ロリィタにはぴったりですヽ(´▽`)ノ

ここだけ建物の雰囲気が違って、やけに豪華なのですよ。
しかも菊のご紋がついていて「なぜ!?」というかんじでした。

理由は、どーも江戸時代後半に作られた勅使を迎える門だったそうで。
どーりで雰囲気が違うはずです。

ちなみに、国宝の洪鐘を見ようとしたのですが、工事中で見れませんでした><
なんというガッカリ感。
北条時宗の息子の北条貞時が作らせたとか、きっちりと予習してきたのになぁ…

円覚寺の感想

さんざん地味だ地味だといってますが、雰囲気自体は今回いった中でも一番良かったです(笑

人が少なくて落ち着いてるし、なんか必死で観光にいろいろまわったあとで、ちょっと気持ちを鎮めることが出来ました。
近くにあれば、通いたいお寺というかんじですねー

円覚寺舎利殿の方は、入れないのもあって感動なかったです(笑
まぁ、見ておいて多少すっきりした感はあります。
でも、入れないとつっかえはとれないかも(笑

あとは、時宗廟と国宝洪鐘を見られなかったので、機会があれば見に来たいですねー

2 Comments on [円覚寺] 北条時宗が創建した静かなお寺

  1. 北条時宗は元寇に攻められ、その対策に心労が絶えなかった悲劇の人という印象があります。 
    戦争のせいで国の物資や資金が疲弊し武士からの不平不満がある中で必死に何とかしようと常に考えていたけれど、達成する前に死んでしまい無念と言うか、苦しみから解放されて良かったと言うか・・・(うーん)
    ただ元凶になったのが、フビライ・ハンで日本侵略をあきらめきれず、周囲の反対や国力や民も疲弊しボロボロでまとまっていないのに対し、長生きをして死ぬまで考えていたわけですから、当時の人はたまったものじゃなかったと思います。

  2. ☆おまけさん
    北条時宗は早くに亡くなられましたが、やっぱり心労がすごかったんでしょうねー
    もうめちゃくちゃ疲れる人生だったんだろうなぁ…
    フビライは3回目の遠征も予定してたそうですね…
    モンゴル帝国は崩壊までの流れをいまいち知らないんですよね。
    その辺もきっちり学びたいですねー

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です