読書の重要性について第2回目ですー
写真の本のうち2つは「学校は奴隷要請工場だ」とか「経済支配の洗脳を解こう」とか、そーいう本です(笑
陰謀論的な考えですが、それくらい大きな視点で見ることで、いかに社会の常識というのがバカバカしいかを感じて、もっと自由に生きようという考えが得られました。
やりたくもないことをやらないようにするための読書
考えてみれば「なんのために読書をして、知識を増やすのか」っていうのを失念しがちですよね。
私が提唱するのは、なんかこう「仕事に役立つ」とか「賢くなれる」とか、そーいうのでなくて「やりたくもないことはやらずに、やりたいことを出来るようにする」ために本を読みましょう、といったところでしょうか。
例えば「働いたら負けだ」と思うなら、たくさん本を読むと、良い解決方法が見つかるというわけです。
それは、不労所得を得る方法だったり、負けだと思うようなことはせずに、好きなことをやって収入を得る方法だったりするわけで。
…どうやら、わたしはよっぽど働きたくないらしい…
「本を読む」というと堅苦しそうだけど「こんな世の中、まともにつきあってられない!」ということで、まともに付き合わないですむ知識を得るといえば、楽しそうかなーと。
性別に悩んでいる人とか、正攻法でいくと不利過ぎます。
そんな不利なものにわざわざ付き合うことはないのです。
で、今回はなんで読書がいいのか、ネットじゃダメなのかという話です。
作者の深い思考に触れられる
読書とネットの最大の違いがこれかなと。
たとえば、2ちゃんねるのまとめサイトって、一人一人の浅い思考がたくさん見れる場なんですよね。
それはそれでおもしろいし、いろんな知識が得られるんだけど、深い部分にはなかなか触れられません。
たとえスレ主の体験談まとめで、結構長かったとしても、さすがに本200ページほどはないわけで。
ブログも同様で、せいぜい数記事完結で書いている記事と、200ページほどの本できっちりまとめた内容だと、やっぱり深みが違う気がします。
もちろん良質なブログもたくさんありますし、本でもうすっぺらいものもありますけど、本のほうが深くなる傾向が高いです。
そもそも、本を書くという時点で、著者はその分野について深い知識があるわけで。
さらに編集とか加わってる分、かかっている労力も違いますし。
そういう人の深い思考に触れられるというのが、ネットとの最大の差だと思います。
ネットだと、あまり知識のない人がまとめていることも多いです。
私の脱毛サイトも、作りながら知識をつけていって、結果として詳しくなったんですよね。
最初にまとめている段階では、たいした知識がなく、検証しながら詳しくなっていったんですよね。
そこまでいけばいいけど、作りこむ前に放置しちゃうこともあるわけで…
ネットだと気が散りやすい
あと、これはあくまで私の感覚ですけど、ネットだと気が散りやすい気がするんですよね。
Wikipediaとか、ぐるぐる回っちゃうんですよ。
キン肉マンについて見てたら、松山千春に飛んで、そこから暴力団にとんで、えたひにんにとんで、気がついたら士農工商について学んでました。
もうわけがわからないです(笑
ありがちなのが、まとめサイトのRSSでぐるぐる回されて、最初に見ていたのが何かわからなくなる状況。
あれは時間の浪費でよろしくないです。
RSSのタイトルも刺激的になるようにしてるんで、見ることで気が散りやすいんですおね。
まとめサイト側としたら、ああやってぐるぐる回してアクセスを回し合うのが目的なんですけどね…
それに比べて、読書はあっちこっち行くことがないので気が散りにくいです。
このへんも良い所かなーと。
まとめると、別にネットでも知識は得られるけど、読書の方がじっくりと深い知識を得やすいというところでしょうか。
効率的なことを考えると、読書の方が手っ取り早いということですねー