キン肉マンの考察は脳に良い
もう何年もキン肉マンの感想を書き続けていて思うんですけど、実はキン肉マンの感想を書くという行為は、脳に良いのかもしれないなぁと。
何を言ってるんだと言われそうですけど、確実に思考力が上がると思います。
変なところを探して、どんどんツッコミを入れよう
まず、お決まりの「おかしいところを発見して、ツッコミを入れる」という流れ。
私は、出来るだけ「これはおかしい」というところを見つけるつもりで読んでるんですよね。
これって、おかしなゆで理論自体がひとつのエンターテイメントになっているからこそ出来ることかなと思うのです。
「破綻していることそのものを愛している」という、ものすごい世界というか(笑
それでも素通りしちゃて感想に書き損ねた時とか「くやしい><」という気持ちになります。
最近では、超人墓場の鬼が「鬼のように強いアビスマン様がやられるなんて」とかいってましたが、お前が鬼やんと突っ込まざるを得ない。
それなのに、こともあろうか、こんなおいしいネタを素通りしてしまって気づかなかったという失態をおかしました。
他の人の感想で気づいて大変悔しい思いをした記憶があります。
設定や物理現象などの「おかしいところ」を必死に探そうとした結果、セリフに込められたおかしさに気付かなかったという。
まずこれだけで、ただ漫然と見るだけでなく、疑問を持ちながら物事を見る視点を養うことが出来ます。
矛盾はキン肉マン最大のエンターテイメント
さらに、私が大好きなのは、必死に矛盾点を探して、その上で「実は矛盾していない」という視点で考えて、無理やり整合性をつけてしまうという思考ゲーム。
わざわざ自分で矛盾を探して補完するとか、考えてみればおかしなことなんですけど、これが楽しいんですよね。
特に、キン肉マンは矛盾だらけで、なおかつ読者もそれを楽しんでいるという前提があるんで、これが非常にやりやすいのです。
他の作品だと粗探しと言われそうな行為でも、キン肉マンならファンが矛盾を楽しんでるので平気なのです。
たとえば、「スグルが捨てられたのは赤ちゃんのときではなかったのか」とかは「実は回収されて、また捨てられた」とすれば、整合性はあいます。
他には「フェニックスって心臓病で死んだけど、なんで超人心臓に切り替えなかったの?」とか、意外と気づかないおかしなところって、山ほどあるんですよね。
超人心臓については、酸素がなくても活動出来るだけでの器官かもしれませんね。
だから、肉体的ダメージで心臓が止まった場合は、超人心臓云々の問題じゃないと。
ゆえに、ウォーズマンも超人心臓に切り替えることも出来ず、体内に入ってもらって心臓を動かしてもらう必要があったのかも。
…というか、そもそも心臓ってなんで止まるの?
根本的なことから勉強しよう…
こういうおかしなところを見つけるのは、無理やり整合性をつけて世界の矛盾を無くすため、とも言えます。
実は、キン肉マンの世界観を、より完璧で美しいものにしていくための思考ゲームなのかもしれませんね。
これって、実はかなりの頭の体操になります。
作品全体の記憶を引っ張り出してきて「こうだったからこうなんじゃないの?」と考えたり、高い視点で物事を考えて「実はこうだったんだ」という仮説を出したりと、やってることのバカバカしさの割に意外と高度な思考が必要な気がするのです。
さらにこれを1つの記事としてまとめるとなると、相当に頭使ってそうな。
ジャンクマンの手だけで色々な想像ができる
また、超人というものの設定が、想像力をかきたてるんですよね。
ベンキマンが2000歳とか、スプリングマンが4000歳とか、設定見せられただけで突っ込みどころ満載で、「2000年前にベンキマンがいたって、どんな状況やねん」と思わず想像してしまいます。
これは、ゆで本人がものすごい回答を叩きだしてくれましたが。
また、ジャンクマンとか見た目の時点で、普段の生活どうしてるねんと想像せずにはいられないですよね。
腕がない人の生活を深く考えることって、なかなか無いですよね。
せいぜい軽く考える程度。
でも、ジャンクマンのあの姿を見せられたら、想像せざるを得ないわけです。
キン肉マン好きなら、誰でも一度はジャンクマンの私生活はどうなってるんだろうと思ったはず。
あのジャンクハンドって、生まれつきのものなんですよね。
ということは、彼から見る世界は、私たちとは全く違うもののはずです。
我々の手がいきなりジャンクハンドになった状態を想像するんじゃダメなんですよね。
生まれつき手がああなっている人生を想像する必要があります。
これは実に刺激的。
普通に生きてたら絶対考えないことです。
私たちって、自分基準で物事を考えがちですが、それじゃダメなんですよ。
ジャンクマンを理解するためには、一度自我を消して、ジャンクマンの立場で考えないといけないわけです。
人の視点で物事を考えることって重要ですが、キン肉マンからそれが自然と学べるわけです。
ジャンクマンは、あの手が原因でいじめられたかもしれないですよね。
そう考えると、差別というものの理不尽さをリアルに感じることができます。
だって、ジャンクマンだって、好きであんな手に生まれたわけじゃないし。
差別ばっかりの世の中で、ぐれて悪魔超人になったとしたら、実力が全ての悪魔の世界は彼にとって自分が一番輝ける場所になります。
そして、最終的には自分の個性であるジャンクハンドに徹底的にこだわりぬいたことを考えると、コンプレックスを乗り越え、誇りに思うくらいになったのかもしれません。
そう考えて読むと、ペインマンとの死闘もまた変わってくると思います。
ジャンクマンからは、欠点と思えるような部分を自分の個性として徹底的に磨きぬいて長所にする生き方を学べるわけです。
ジャンクマンの腕を想像するだけでも、こんだけ考えられるんだから、キン肉マンという作品のもつポテンシャルは本当に恐ろしい…
キン肉マンを見るような視点で物事を見てみましょう
こうやって、どんどん想像力が刺激されて、脳がフル回転して思考できることを考えると、すごいですよね。
そして、世の中の出来事や、他人のことを知るときも、キン肉マンを見るような視点で見ると、色々なことが見えてくるんじゃないかなぁと。
メディアが嘘ばっかりというのは、キン肉マンにおける矛盾くらい当たり前のことという視点で考える。
誰かを理解する時は、ジャンクマンを理解するくらいの視点で考える。
世の中の矛盾とかがあっても、「ゆでだから」というように楽しむ視点で生きる。
こういう視点で物事を見ることによって、今まで見えていなかったものが見えてくると思うのです。
というわけで、みなさんも是非、キン肉マンを通じて思考力を高め、自分で物事を考えぬく能力を養いましょうヽ(´▽`)ノ
素晴らしいです。僕以外にキン肉マンが2度捨てられたことに気付いていた人がいたなんて。
そうなんです。キン肉マンにないのですよ。一見矛盾に見えても、ちゃんと理由があるんですよね。
というか、ゆきにゃんさんが僕と同じことをやっていたことに感動しました。
☆呉竜府さん
おお、同じことやってるお仲間ですね(*・ω・*∩
たしかスグルが二度捨てられた説はどっかで見た気がしますー
わたしの記憶違いで自分で考えたのかもしれませんが、濃いファンはそう認識してそう(笑
中高生の頃に、友達とこういうお遊びをやって楽しんでいました♪
それぞれに独自の解釈があって面白いし、またそこから話が広がっていったりでしたが、考えたら面白いストーリーをそこから作り出したり、矛盾を上手く説明できる説を考えるヤツって、けっこう機転が利いたり、人気モンだったりで、そういう意味ではこういう思考の鍛え方やモノの見方を身につけるって、本当に役立つんじゃないかなって思います^^