まどマギ最新作の劇場版を見てきましたので、感想ですー
全編ネタバレなので、注意!
見た人じゃないとわからない感想です。
ほむらちゃん、病みすぎ!
とりあえず第一声はこれ。
もう病みすぎとしか…
テレビ版でのほむらちゃんにはかっこいい印象があったんですけど、新編を見てしまった後では、もはや病んでる人にしか見えない…
まどかも「わたしの最高の友達」とか言ってる場合じゃないよ、大変な人と仲良しになったったよ!(;´Д`)
ただまぁ、冷静に考えると、ほむらちゃんがおかしくなるのは当然なんですよね。
まどか大好きでまどかのために身を張って、何度も時間を巻き戻しまくって。
その結末がまどかの自己犠牲の元でのルール改変。
まどかに会えなくなった上に、誰もまどかのことを覚えておらず。
まどかの話をしたくても出来ないって、かなりこたえますよね。
わたしは、1人で新編を見た後に、友人と会って食事をしたんですけど、その友人は先週に「今からレイトショーで見にいく」といってたんですよね。
なので、会ったら新編の話で盛り上がろうと思ってたのです。
ですが、「満席で見れなかった」といわれて、話す気満々だったのに話せなかったのです。
「新編を見て、もやもやしたこの気持ちを誰かにぶつけたい」と思っても、ぶつけられなかったんですよね。
これって、本編のほむらちゃんのシチュエーションと似てて。
まどかのおかげで世界が改変されて魔女がいなくなった。
でも、まどかの自己犠牲の上になりたってて、もやもやしてる。
このもやもやした思いを共有しようにも、みんな覚えておらず、どうしようもない。
もはやQBくらいにしか話すことが出来ない。
そんなもやもやした状態でずっと戦い続けてたわけで…
ああ、そりゃ病みますわ(;´Д`)
話としては、ほむらがまどかの救済を受け入れて、すっきり終わったほうが気持よく感動できたんですけどねぇ…
でもまぁ、この方がほむらというキャラに一貫性があるといえばあるかも。
結局、まどかとほむらはすれ違いなのかもしんないですね。
まどかはマクロな視点で魔法少女全体を救いたい。
ほむらはミクロな視点でまどかを救いたい。
で、どっちも似てるところは、その結果として自分を傷つけているということ。
まどかは「やっぱりみんなと別れるのはつらい」という気持ちがあるけど、自分が神になることで魔法少女全体を救えるなら、と考える。
ほむらは「まどかが人として自分の幸せを求めること」が最優先で、自分がどうなるかどうでもよく、それでまどかと敵対してもかまわないくらいの勢い。
なんとなく、まどかがほむらの気持ちを見落としてるような気もしなくもない。
だったらどうするかといわれても、まどかの性格だと、ああするしかないわけで。
でも、そんなまどかだからこそ、ほむらはまどかのことが好きだし、まどかを守る強い自分でいたいんだろうし。
まどかは、魔女になる魔法少女のシステムをどんなことしてでもなんとかしたい。
ほむらは、どんなことをしてでも、まどかの自己犠牲を止めたい。
まどかの罪なところは、無自覚に自己犠牲にでてしまうところ。
ほむらの罪なところは、まどか以外眼中にないところ。
だけど、無自覚に自己犠牲に出てしまうまどかには、ほむらというブレーキは必要。
女神まどかになる前だって、ほむらがブレーキにならなければ、さやかのために魔法少女になってた。
で、最終的には「まどかは絶望して魔女にならないんだから、もういいんじゃないの」ということになって、話の落とし所としてはそれで収まってたんだけど、そもそも絶望しないでも永遠にはりつけられるのは、もっと絶望的なことなんじゃないの、と。
その様子をみたほむらが、まどかの代わりに、まどかの絶望を背負ってしまったのかもしれません。
それゆえに、宇宙の摂理に干渉できるくらいの力を得たのかな…
ただまぁ、よく考えると新編のあのラストの状態、別に誰も損をしていない気もする。
円環の理そのものが無くなったわけではないので、魔法少女が絶望して魔女になることはない…はず。
QBはほむらの支配下におかれたので、安全。
一番得したのは杏子で、どさくさにまぎれてさやか生存ルートに入ることが出来た。
さやかも、恭介と瞳に挨拶できることを喜んでいた。
ほむらが病みすぎていて、自分を傷つけているように見えることを除けば、割と理想的なルートの気もする。
ただそれって、自己犠牲がまどかになるか、ほむらになるか、だけの話なんでしょうね。
新編のラストの状態は、まどかが自己犠牲をしないように、ほむらがまどかを縛っている状態で、たぶんほむらは悪魔として永遠にまどかを縛り続けないといけない。
病むほど好きなまどかの願いを無視して縛り続けることで、結果的に自分も傷つけている気がする。
というか、あきらかに表情がやばいし(;´Д`)
とりあえず、ほむらが納得するまで解決しないということですかねえ、これ。
最終的に宇宙の摂理に干渉してまで、やりなおそうとする人だし。
結局、終わらない時間軸の迷子のままってことですね…
自分が完全に納得するルートになるまで、意地でもやりなおす。
時間を逆行できる能力を得た悲劇かも…
やっぱ、ほむらちゃん救済の続編が必要ですね、これ…
どうするのやら。
面白かったことは面白かったけど、本編のまま終わったほうが気持ちよかった気がする。
個人的には、無かったほうがよかったかな…
本編がすっきり綺麗に収まったのに対し、新編はモヤモヤ感が強すぎるし。
他の感想は
・最初の魔法少女戦隊のあたりは「何かわからないけど幻覚かなんかなんだろな」と思ってたので茶番としか思えず、ちょい冗長だった
・新キャラの百江なぎさは、ちょい役だったなぁという印象
べべの状態も含めるとキーキャラでしたけど、思ったより活躍しなかったなと
・本編で割をくったさやかちゃんの大活躍は胸が踊りました
・ほむらを見て嫌気がさして去ろうとしたQBがおもしろかった
・それでも許してもらえず管理下におかれるQB…
・続編作れるように収めたんだろうなぁコレ
・やっぱりほむほむ病みすぎ、もはや狂気
・女神まどかが良い所無し…神らしきところを見せて欲しかった
というかんじですねー
ほむらが自分のゴールの間違いに気付けばOKかも
考えていて思ったのが、そもそもほむらのゴール設定がまずすぎるのでは。
「自分の手で、まどかの不幸を防ぐ」なんですよね。
決して「まどかを幸福にする」ではない。
ここがキモ。
だから「みんなと離れるのはつらいよ」という本音を聞けば「まどかは不幸なんだ」と判断して、「まどかを不幸にしない」というゴールを目指して、無茶をしでかす。
これ、一番厄介なのはほむらが見ている時点で不幸ならアウトということです。
そして、ほむらは過去に生きていて、未来をまったく見ていないんですよね。
たとえば、「まどかは不幸な目にあいましたが、結果的にそれを乗り越えて最高に幸せになりました」ということがあるかもしれない。
「みんなと別れるのはつらかったけど、女神になって、魔法少女を救済して、結果的には最高に幸せになりました」という結末だったとしても、ほむらには関係ないわけです。
彼女は未来の可能性を見ていないので「自分が目に付いている時点で、まどかが不幸であれば、どんなことがあってもやり直さないといけない」という判断をくだすわけです。
まどかが幸せかどうか、幸せになるかどうかはどうでもいい。
とにかく、まどかを不幸にしないというのがゴール。
で、本編では、あまりに絶望的に不幸な状態になったので、それよりマシなら「不幸じゃない」と判断しちゃう。
そのへんでもうめちゃくちゃなんだけど、ほむらにとって「自分の目が届いてる範囲内で、まどかが絶望的に不幸にならなければOK」なわけで。
ほむらは基本的にネガティブなので「まどかが幸せになる」とか「自分が幸せになる」とかをゴールにしようという考えすら無い。
たぶん、ゴールを「自身の幸せ」と「まどかの幸せ」に切り替えればOKなのかな、と。
女神まどかは本当に不幸なのか、実は幸せではないのか。
まどかを女神にした状態で幸せにすることは出来ないのか。
むしろ、自分も一緒に女神になることは出来ないのか。
魔法少女の原理そのものが変わって、円環の理で救済されるわけだから、魔女のころと違って「自分が幸せになる」ということも許される。
でも、過去に生きているほむらは、魔女の頃のルールが頭にこびりついてるんで、自分が幸せになることは完全に捨て去ってしまってる。
まどかが、魔法少女も幸せになることも可能な世界に変えたのに、気づいてない。
このへんがまずい気がする。
どうも、ほむらの自己評価の低さが全ての元凶の気がしてきた。
自己評価の低さから、まどかを優先した願いをしてしまい、さらに魔法少女の絶望的な存在理由を知って、余計に自己評価が低くなった。
ほむらが「自分は絶対に幸せになれない」と考えている以上、まどかの救済を拒否してまで、まどかを不幸にしないように無茶苦茶しちゃう。
まず、ほむら自身が「自分は幸せになってもいい」とOKを出すこと。
そして、宇宙の摂理をねじ曲げる悪魔にまでなった今のほむらなら「まどかと一緒に女神になって、まどかを幸せにする」ことも可能なはず。
この「一緒に女神になって永遠を過ごす」という究極ともいえる状態は、「自分が幸せになる」にOKを出さないと出てこない気がする。
これなら、まどかをひとりぼっちにしないですむし、自分はずっとまどかの側にいられる。
悪魔にまでなったほむらなら、永遠を過ごすという恐怖は、まどかを1人にしないという目的があれば乗り越えられるだろうし。
現状、これがわたしの思いつく解決策ですね。
とにかく、ほむらは未来を見るようにしないと、いつまでも時間をさかのぼって、世界を改変し続けることになっちゃう。
絶望要素はまどかが消したんで、なんとでもなるはず。
なんかこう考えると、ほんと深いですね~
過去に生きるのは危険ですし、ゴール設定を間違えるとドツボにはまります…
初日に見てきました(^^)
初回版パンフを見直してると、
いろいろ語りたくなるー!!
たしかにゴール設定を誤っている
という見方はありだよね。以下ネタバレします。
僕的には、最後に廊下でまどかが気づこうと
するところをほむほむが抑えたよね?
あれをずっとやり続けるのって、辛くね?
とか思っちゃいました。
やっぱりまどかは、ほむらの世界を壊す
ほむらの敵になり得るのかな?ほむら自身も
敵になるかもって言ってたし。つまり
自分が好きな都合のよいまどかと都合の悪い
まどかがいて、都合のよいまどかのみを
相手にしたいという気持ちは、みんな共通
してもってると思うんだよね。
実は普遍的で普通な考え方の持ち主で
あり、ほむらは僕らに近い存在なんだな
と感じました。
ぁあ、もっと語りたい。ゆきにゃんまどマギ
語り大会しよ!!ダメ?(笑)
素晴らしい考察をありがとうございます! 自分も数日前に見に行きましたが、ここまで考察できるとは感服しました。
なるほど、まどかが自分は幸せだと感じていたとしても、ほむらの瞳にまどかの姿が少しでも不幸に映っていれば、やり直そうとしてしまうんですね。
自分としてもまどかの救済をほむらが受け入れてくれたほうが、視聴後感もすっきりして気持ちよく終了できたろうと思いました。
こんな形にしたということは、一応さらなる映画の続編も視野に入れているということでしょうね。
ただ、続編の映画が出るかどうかは興行的に成功しつつ、脚本がしっかり練れての上ですので、ちょっと消化不良のままこの映画で終わってしまうかもしれませんね。
少なくとも2014年の間には、間に合わないでしょう…。
もし続編やるならここまで来てしまった以上、ほむらのまどかへのヤンデレや過激な愛情表現をとことん詰めて、百合要素を全開にした作品にしてほしいですね。
それと新魔法少女だったのに、魔法少女としての出番が少なめだった百江なぎさの出番を増やしてキャラをよりほりさげてほしいです。
☆はやてさん
たしかに毎回まどかをおさえつけるのはつらそうです><
そのたびに自分が悪魔と自覚するはめになりそう…
まどマギを語り合う会は開催するとおもしろそうですねー
☆Myさん
レンタルでみるなら、それまでネタバレ踏まないように気をつけてくださいね><
☆パッショーネさん
考察よろこんでいただけてうれしいですー
たしかに続編はあったとしても、えらく先になりそうですし、続編ないかもですね…
なぎさは是非ほりさげてほしいですよねー
考察素敵です☆
叛逆を見てからいろんな「こうなればみんな幸せ」パターンを考えてきましたけど、
「まどかと一緒に女神になって、まどかを幸せにする」
って発想、盲点でした。
悪魔になれるくらいなら一緒に女神にもなれるはず。
これなら幸せな形で「これからはずっと一緒だよ」ですもんね。
さやかと杏子が手をつなぐシーンは涙腺崩壊でした。
あんな形にほむらとまどかもなってくれたらいいんですけどね。
まどかが円環の理になった時点で全ての世界の記憶が得られたのなら、ほむらだってそうなることでまどかとのすれ違いを埋められるはずなんですよ。
そうなったら本当にお互いの気持ちを知った上で、一つの結末に向かえるのになぁ、なんて。
まどマギ語る会があったら行きたいです(>o
☆あつしさん
ありがとうございます(*´▽`)
ゴール設定という視点で考察するといろいろな可能性が見えてくるんで、いろんな作品でこの見方してみるとおもしろいですよーヽ(´▽`)ノ
まどマギの最終的な結末は「2人で円環の理になりました」で終わるのかもしれませんね。
語る会、開催してみたいけど、どういう方向性でいくかですねぇ。
ちょっと考えてみますー