ビットコインでの損害とうとうマイナス180万\(^o^)/オワタ
無理に取り戻そうとすると負けるという教訓(ノД`)シクシク
ただ、負けまくって気づきました。
「そもそも、どれもこれも、さっさと利確してたら、今頃プラス100万くらいだったのでは?」
欲張って深入りしすぎて自滅してるだけで、全部勝てる勝負だったはずなのです。
全部欲しいし、早くマイナス解消したいけど、そこはぐっと抑えて、予想最大利益の6割ほどでガマン。
なんで負けてるかわかったんで、十分に挽回できるはず…
きっとだいじょうぶ。
欲張りすぎて身を滅ぼさないようにしよう…
で、こんなボロ負けするにも関わらず直感がおっけーしたのは、「思い切り負けることで、ずっと心に巣食ってた根源的な闇を思い切りぶちまけるトリガーになるから」だったようです。
たぶん、コレに向き合うために大損する宿命だったのでしょう(;´Д`)
人生において誰もが最初に出会う人間であり、最初に発生する「母親との関係性」という大問題。
そこがうまくいってる人はいいんだけど、そこでつまづくとずっと引きずりつづける…
一番向き合いたくないクソすぎる問題(;´Д`)
稼いで状況を立て直すと、またここから逃げるだけで、私の根本的な希死念慮を解決するには、ならないんでしょうね。
だから、次のステップに進むためには、ここに手を入れるしかなくて、ここまで追い詰められないとやらないから、本能的に「こっちでおっけー。大損するけど、全部ぶちまけて楽になれるよ!」と感じていたのでしょう。
お金が稼げなくなってしまう
↓
そのせいで発生する根源的な問題と向き合わざるを得なくなる
↓
真の自由を得るには、そもそもそこを解決させる必要がある
↓
人生で一番深い闇と向き合って乗り越える戦い
なので、これをやらないと人生が先に進まないようです。
たぶん、右目の難病の根本的な原因もここですね(;´Д`)
これなんとかしたら治ってくれるでしょ…
むしろ、これなんとかしないと治らないレベルだから、西洋医学では治らないんでしょう…
ストレスが内臓にたまって負担になりつづけて、それが目に影響してるらしいから、そもそもそのストレスを取り除かなくてはいけなくて。
全部の大元になってしまってる部分をやっつければ、なんとかなるはず…
というわけで、以下、母親の支配に苦しめられてきた私がぶちまけるお話です。
新しいブログを作ってみました。
その名も「絶対に働きたくないブログ」。
独自ドメインもきっちり取得。
http://働きたくない.net/
ちょっと暗黒面をこのブログで吐き出すことにします。
まぁ、ただの暗黒面や「働きたくない理由をえんえんと書き連ねるブログ」ではなく。
一応、テーマは色々考えていまして。
わたし自身、働きたくない一心で、たくさんの試行錯誤をして、成功と凋落を経験しながら、ほったらかし収入を得て法人化にまでいたりました。
実際に1年くらいほとんど放置で人よりずっと稼いで遊びまわっていました。
そんな中で、同じアフィリエイターやネットビジネス成功者とたくさん交流して感じた違和感、「自分は彼らとは違う」という孤独。
通りすがりの大道芸人と仲良くなったり、色んな変人を見て感じた「こっち側の人間」という感覚。
そして理解できた、子供の時に自分が出来なかったこと。
「働きたくない」の正体とは何なのか。
…というようなことを書いていこうと思います。
ここ最近は、ゆっくりまったりと自分と向き合ってます。
そうして、自分の過去の行動原理がいろいろ見えてきて、前に進めるようにしていく感じなのです。
で、今回は自分の子供の時の性の問題の対処をどうしてたのか、その結果どういうふうになっていたのかがわかりました。
ベストは女でいたいわけですけど、体がコレだし、無理なので諦めるしかなかったわけです。
その結果、どーしたかというと「男しかいなくて、基本的に二次元にしか興味を持たない」という環境を理想として、そーいう状態を構築していたようです。
目を治そうとしてたら、なんかどんどん壮大な方向に来ましたw
「自分の過去を、1つ残らず全て受け入れ、一切の後悔を感じないようにする」というのが現在のテーマです。
いくら「未来志向で生きる」といっても、過去を思い出すことはあるわけで。
まぁ別に多少過去を思い出したところで、未来志向でいけば上手くいくし、上手く行けば過去の傷も癒えてくると思うんですけども。
わたしは「過去を全部ふりかえって、1つ1つを吟味して、すべてを完全に受け入れる」という荒療治をすることにしました。
人間、後悔することはあるわけですけど、ぶっちゃけ後悔自体が無駄。
「もし○○してたら」なんて可能性は存在してないし、もしそうしていたとしても、結局は同じ結果に収束していたかもしれません。
つまり無駄。
現状の外側のぶっ飛んだゴールを作り、未来にそれをなしとげているなら、過去のすべてがそのゴールに到達するための布石だったことになります。
超エフィカシー高ければ、未来にゴールを達成しているのを信じて疑わないので、過去の全てを受け入れているはず。
…なんだけど、ここまではなかなか難しいですよね><
まぁでも、現時点でも「世界の支配構造から抜け出す」というずーっと考えていたテーマのゴールがかなり近づいてきています。
少なくとも、「自分の人生時間を、やりたくもないことをやるためにさくのが当然という世界観」からは抜け出しました。
そう、現時点でもうこれだけ「抜けだしている」わけだから「過去の全ては、そのために必要だった」わけです。
小中学校ではスクールカーストの底辺で自己否定を繰り返し、とてつもない苦しみを感じた。
だからこそ、とてつもない執念を生み出して、時間労働の歯車に入らずに住んだ。
その数年間の苦しい体験を否定してはいけない。
なかったことにしてはいけない。
まわりの友人達が就職して、社会的号の道を歩む中、わたしは目標を見つけられなかったし、就職なんてとても考えられず、レールの道から脱落して、そんな自分を責め続けた。
でもそれは「have to」なことを一切できないという特徴が発揮されただけで、道を誤らなかったわけだし、今だから「自分の夢をかなえるのには絶対必要だった」といえるわけで。
だから、これも否定してはいけない。
もしわたしがこの時点で、世の中に適合する自信があれば、自由になるという夢はかなえられなかった。
社会システムのレール思想の洗脳を受けた以上、わたしが夢をかなえるためには「徹底的に自信を打ち砕かれて、ぼろぼろになる」という段階が必要だった。
そうでなければ、夢を叶えられなかった。
ただし、その副産物で「あまりの自己評価の低さでまわりを傷つける」ということもあって、それが後悔の念になっているわけですが、その時点で傷つけ人間関係を破壊していなければ、さらに暴走して迷惑がかかった可能性がある。
自分の犯した過ちすら、否定してはいけない。
自責の念にかられて、自分を責め続けても苦しむだけ。
何年も苦しんだんだから、もう十分。
犯罪者だって罪をつぐなえば釈放されるわけです。
自己評価を下げることで、他人にまで害をもたらすというのは身を持って体験しました。
だからこそいえることは「根拠の無い自信をもとう」ということです。
もし持てないなら「根拠の無い自信をもつこと」をゴールにしえしまえばOK。
それにより、低い自己評価から他人に攻撃することが無くなり、世界が平和になりますし、自分自身に仕掛けていたロックもはずれて、自分の能力が飛躍的に上がります。
なんて素晴らしい。
これを伝えるために罪を犯し、それを何年も悔いたわけで。
何年も悔いて体にためこんだからこそ、執念が生まれ、プラスの行動力になる。
だから、心からそれを受け入れて、徹底的にプラスに変えていくのが建設的。
で、やっていることはありきたりかもしれないけど、これを自分の人生全部でやってしまうわけです。
そうすれば、二度と過去に振り回されることはないし、すべての過去を未来へのエネルギーに変換することが出来る。
ここまで来た私なら大丈夫。
1つ残らず過去を受け入れて、タイムマシンがあっても必要ないと言えるようになる。
というか、現時点でも、何か1つ「なかったこと」にしてしまったら、時間の自由を得た生活が消えるかもしれないわけだから。
だからこそ、すべて受け入れる必要があるわけです。
…ということをやっているので大変なのですが、自分の体の毒を吐き出す戦いは、さすがに終盤戦と思います。
これが終わったら、目が治ろうと治るまいと、裸眼生活やめて、通常生活に戻しますんで、たぶん更新もできるようになるはず…
治らない原因が心のロックなら、たぶんコレで治るし、物理的要因で治らないものなら、全部吐き出すための期間だったということなのでしょう。
ぐだぐだ考え続けて、やっと気がついたこと。
あんまり深く親密な関係を作ってしまうと、そこに引っ張られてしまって、変化しにくくなるのではないかなと。
わたしの場合、高校時代に友人とゲームばっかやってたのがすごく楽しくて、そこにひっぱられてたんですよね。
「一番楽しいのはコレ」という強烈な感覚がありました。
おかげで、そこへの執着が生まれてしまって、他の楽しいことよりも、そっちがしたいなと感じてしまってたんです。
でも、当時、一番やりたかったことは「女性として楽しむ」だったわけで。
それに気付くまでは、自分の中にいる当時の友人たちの亡霊に足止めされてた感覚があります。
男から女になるという派手な変化をしようとすると、そりゃ過去の縁が邪魔しやすいですよね。
逆に、小中学校のときは、そこまで強烈な縁は築けなかったし、苦しかったんで、自分の中でも比較的切りやすかったです。
ただ、それでも「当時の連中にバカにされる感」があったわけですけどね…
これは、わたしの行動原理が「逃れるために切り開く」であって、その逃げたい対象がここにあったからなのかもしれません。
わたしは常々「世界の支配構造から脱出したい」と考えているんですけど、学校から繋がっているレールの世界観や常識から外に出ていきたい、ということなんでしょうね。
この場合「脱出したい」がゴールだと、脱出する直前で輪ゴムがゆるむように止まってしまうわけで、たぶん私は今はこの状態。
時間も自由になった、お金も結構ある、未来志向で切り開けるようになった…
なのに、まだなんかひっかかってるのはコレが原因だったのでしょう。
子供の頃に植え付けられた世界観は、もうほとんど脱出しちゃってるので、そこからゴールを再設定しないと。
今はそっちの処理をしている感じかなぁ…
で、ここで最近知ったマイルドヤンキーという概念が結びつきます。
マイルドヤンキーというのは、同世代の地元の友人と密接につながっていて、地元から出たがらないタイプの人々。
小中学校の頃の人間関係をいつまでも続けているタイプですね。
このタイプは、小中学校のころにスクールカーストの上位にいて、たいへん楽しい思いをしていたのでしょう。
その結果、そこであまりにも密接につながってしまって、変化ができなくなってしまったのではないかなと。
出ていこうにも無意識にひっぱられてしまう。
そして、おそらくは一番やりたかったことが他にあるはずなのに、この仲間たちといるのが最高に楽しいと思っちゃってるのではないかなと。
わたしは、どーも親友を作るのが苦手で、人と若干の距離を作ってしまうんですけども。
これは、あんまり強い縁を作って、引っ張られちゃうのが嫌なのかもしれません。
ゆえに、どこのコミュニティにいっても、あんまりどっぷりになれない。
割りとゆるやかに繋がっている感じ。
それが寂しいというのもあるんですけど、変に引っ張られないで、自由でいたいがために、無意識にそうしちゃっているのでしょうね。
しかしまぁ、鍼灸で緑内障をよくしようとしたら、徹底的に過去を振り返って、意味づけし直すはめになったなぁ…
この半年間は、ひたすらに自分の内面と向き合う期間でした…
内面と徹底的に向き合う必要があったから、あんまり外に出られないように、目が良くならなかったのかもしれません。
良くなるとしたら、たぶん処理しきってからなんでしょうけど、果たして良くなるのかどうか…
ひたすら内面を見る時期も、もうすぐ終わるはず…
とりあえず、半年もかかったせいで、ひじょーーーーーに疲れました><
鍼灸で奥にたまってた心の闇を吐き出せてきたのでメモ。
どーも、ゲームというものがやたらとテーマになっているのを感じてたんですけど、これは「ゲームが一番楽しいこと」と自己暗示をかけてたようです。
というわけで、心の闇を吐き出しつつ、つらつらと。
かなり重い話なので、影響受けそうな人は見ないのが吉ですー
現在、体中にしみついた深い絶望と闇を放出中なんだけど疲れた…
上からいろいろかぶせて、日常を送れるようにしてたんでしょうけど、このままだと緑内障がなおりそうにないんで、がんばって吐き出しています。
というわけで、本日は負の要素にあふれた記事です。
自分の体にたまった悪いものを吐き捨てて、健康になるためにやっていることなので、物好きな人以外はわざわざ読まないのが吉です。
いわば、心のなかに有害物質があって、それを後生大事にとっておいた状態だと思うんで、いらないものを断捨離しましょうというかんじですね。