ぐだぐだ考え続けて、やっと気がついたこと。
あんまり深く親密な関係を作ってしまうと、そこに引っ張られてしまって、変化しにくくなるのではないかなと。
わたしの場合、高校時代に友人とゲームばっかやってたのがすごく楽しくて、そこにひっぱられてたんですよね。
「一番楽しいのはコレ」という強烈な感覚がありました。
おかげで、そこへの執着が生まれてしまって、他の楽しいことよりも、そっちがしたいなと感じてしまってたんです。
でも、当時、一番やりたかったことは「女性として楽しむ」だったわけで。
それに気付くまでは、自分の中にいる当時の友人たちの亡霊に足止めされてた感覚があります。
男から女になるという派手な変化をしようとすると、そりゃ過去の縁が邪魔しやすいですよね。
逆に、小中学校のときは、そこまで強烈な縁は築けなかったし、苦しかったんで、自分の中でも比較的切りやすかったです。
ただ、それでも「当時の連中にバカにされる感」があったわけですけどね…
これは、わたしの行動原理が「逃れるために切り開く」であって、その逃げたい対象がここにあったからなのかもしれません。
わたしは常々「世界の支配構造から脱出したい」と考えているんですけど、学校から繋がっているレールの世界観や常識から外に出ていきたい、ということなんでしょうね。
この場合「脱出したい」がゴールだと、脱出する直前で輪ゴムがゆるむように止まってしまうわけで、たぶん私は今はこの状態。
時間も自由になった、お金も結構ある、未来志向で切り開けるようになった…
なのに、まだなんかひっかかってるのはコレが原因だったのでしょう。
子供の頃に植え付けられた世界観は、もうほとんど脱出しちゃってるので、そこからゴールを再設定しないと。
今はそっちの処理をしている感じかなぁ…
で、ここで最近知ったマイルドヤンキーという概念が結びつきます。
マイルドヤンキーというのは、同世代の地元の友人と密接につながっていて、地元から出たがらないタイプの人々。
小中学校の頃の人間関係をいつまでも続けているタイプですね。
このタイプは、小中学校のころにスクールカーストの上位にいて、たいへん楽しい思いをしていたのでしょう。
その結果、そこであまりにも密接につながってしまって、変化ができなくなってしまったのではないかなと。
出ていこうにも無意識にひっぱられてしまう。
そして、おそらくは一番やりたかったことが他にあるはずなのに、この仲間たちといるのが最高に楽しいと思っちゃってるのではないかなと。
わたしは、どーも親友を作るのが苦手で、人と若干の距離を作ってしまうんですけども。
これは、あんまり強い縁を作って、引っ張られちゃうのが嫌なのかもしれません。
ゆえに、どこのコミュニティにいっても、あんまりどっぷりになれない。
割りとゆるやかに繋がっている感じ。
それが寂しいというのもあるんですけど、変に引っ張られないで、自由でいたいがために、無意識にそうしちゃっているのでしょうね。
しかしまぁ、鍼灸で緑内障をよくしようとしたら、徹底的に過去を振り返って、意味づけし直すはめになったなぁ…
この半年間は、ひたすらに自分の内面と向き合う期間でした…
内面と徹底的に向き合う必要があったから、あんまり外に出られないように、目が良くならなかったのかもしれません。
良くなるとしたら、たぶん処理しきってからなんでしょうけど、果たして良くなるのかどうか…
ひたすら内面を見る時期も、もうすぐ終わるはず…
とりあえず、半年もかかったせいで、ひじょーーーーーに疲れました><