四国旅行の話の続きですー
のんびりしてたら3週間も経ってしまったよ!(。>_<。)
いや、書こうとしたら、長すぎて1日で書き終えられず…
続きを書こうとした日に頭痛で寝込んだり、出かけることや部屋の片付けを優先してたら、こんなことに…
記憶が薄れないうちに書いていかねば(。>_<。)
というわけで、2日目は愛媛県松山市にいってきたのですー!
日本100名城の1つでお城というか砦みたいな感じ
まずは日本100名城の1つの「湯築城跡」にいってきましたー
100名城の1つと言われては、お城巡りしてる身としては行かないわけには…!
…といいつつ、100名城全部行ける気は全然しないわけですが(。>_<。)
ともかく、ここは、戦国時代の城跡で、天守とかはなくて、堀とか土塁とかが残ってる感じのお城ですー
城というか、砦に近い感じですね。
無料の資料館があって、色々置いてあったり、スタッフさんにお話を聞けたりしましたー
湯築城は、鎌倉時代からの名門の河野家がおさめていたそうで。
戦国ゲームだと、超弱小勢力で、大体真っ先に消えます。
毛利とか長宗我部みたいな、隣接してるとこ選ばないと認識できないレベル。
おまけに大変めんどくさいことに、河野通直という名前の人が複数いたり、同じく河野通宣という人も複数いたりで、実に分けのわからん勢力です。
当主の名前がややこしすぎなのです。
河野通宣(刑部大輔)
↓
河野通直(弾正少弼)
↓
河野通政
↓
河野通宣(左京大夫)
↓
河野通直(伊予守)
わかるか、こんなもん!
(参考:ニコニコ大百科)
名前かぶらせるのやめて欲しい…
超どーでもいいですが、河野通直(弾正少弼)の肖像画がめちゃくちゃ貧相です。
うん、これでは勢力衰退するわ…
湯築城資料館で聞いたこと
☆有名な村上水軍は実は河野家の配下
「えー、毛利じゃないのー!?」という感じです。
なんかもともと河野だったけど、3つある村上家の中で1つが毛利家の方にいったぽい話。
あの村上水軍を従えてたなんて、意外とすごいぞ、河野家!
☆毛利家には血筋を求められて同盟関係を結んでた
河野家は鎌倉時代から伊予にいる名族だったので、下剋上で成り上がった毛利家にとって、組みたい相手だったらしく。
河野としては、超強い毛利家と組みたいということで、お互いの利害が一致した同盟関係だったそうです。
なんか思ったよりすごいぞ、河野家!
☆元寇で大活躍したらしい
堤防の前に船を置いて、海上からモンゴル軍を迎え撃ったそうな。
戦闘民族としての定評のある島津家も一目置いたそうな。
日本がモンゴルに占領されなかったのも、河野一族の活躍あってこそなのかも。
実はめちゃくちゃすごいぞ、河野家!
☆秀吉に四国から追い出されたけど詳細は不明
実はすごい河野家なのに、秀吉の四国征伐のあと、四国から追い出されて滅亡します。
これが、なんか資料が残ってないそうなのです(。>_<。)
なんかイメージだと、長宗我部が四国統一して、その後に秀吉が来て土佐以外ボッシュートという感じだったのですが、どーも統一してなくて、河野は健在だったという話。
でも、どういう経緯で追い出されたかイマイチわからないそうで。
四国に残ってれば、もうちょいメジャーだったんでしょうねぇ…
湯築城散策の感想
ちなみにお城の感想ですが、天守がないのはわかってたんでいいとして。
土塁や堀が、現存してるのと復元がまじってるせいで、どれをありがたがったらいいのかさっぱりワカラン!
いやまぁ、復元されてるおかげで「へぇ、こんなかんじだったんだー」というかんじなんだけど、城跡の入り口に来た時は「わー、こんな土塁が残ってるんだ、すっごーい!」となったのに、「あれ復元です」と言われると「えー」となってしまった…
まぁ天守もないし、歴史好きか、お散歩好きじゃなければ、無理に来る必要ないかも。
一応、この写真は当時の土塁のはず…
武家屋敷があったり、出土品が展示されてたのはよかったですー
村上水軍が配下だったおかげで、大陸との交易があったようで、結構良いものがあるようで。
古美術やってる人が来た時は「なんでこんないいものが、こんなとこにあるの!?」となってたそうな。
確かに、青磁とか白磁とか、あとまだ日本にない古伊万里みたいな絵柄入りの磁器があったりで、いいもの使ってたんだなー、となりましたしねー
なお、丘陵をのぼっていったら、松山城が見えましたー
景色いいし、この時はポカポカ陽気で気持ちよかったー!
お昼ごはんは宇和島風鯛めし
湯築城を見学したあとは、お昼ごはん。
前日に松山風鯛めしを食べたので、今回は宇和島風鯛めしを食べましたー
宇和島風は、鯛のお刺身ヾ(。>﹏<。)ノ゙✧*。
めっちゃコリコリして美味しかったですー!
松山風とどっちが好きかというと、悩ましい…
ご飯の味付けとしては松山風。
鯛としては宇和島風。
ジャンルが違いすぎて優劣つけられない…
なお、自宅で再現してみようとしましたが、タレがうまく行かずに微妙になってしまいました、ざんねん(。>_<。)
なお、途中で「蛇口からみかんジュースが出る都市伝説を再現したもの」があったんだけど、とりあえずお城に行きたかったのでスルーしてしまいました。
今思えばやっておけばよかったなー
リフトに乗って松山城へ
で、本命の松山城に。
リフトに乗って上がっていきますー
到着して見学したのですが、想像以上に素晴らしい城でした。
これまで80個近くお城に行ったんですが、トップ3に食い込めるレベル。
なお、トップ3は、姫路城、彦根城、松本城。
お城ランキングしたら、大体トップに来るこの辺のお城と同レベルですごかったです。
松山城すごいよポイント
☆日本に12個しかない現存天守
江戸時代から残ってるお城は12個しかないけど、そのうちの1つなんですよねー
松山城に来た理由は、そもそも現存12天守制覇を目指して、だったのです。
こちらは最上階で撮影した写真ですー
やっぱ木のお城はいいですねー!
大阪城とか、鉄筋コンクリートな上に、エレベーターまであって風情も何もないですからね(。>_<。)
☆天守は連立式で防御力スゴイ
姫路城と同様のタイプで、建物が4つ連結されてて、天守に入ろうとすると大変なのです。
4つの建物に囲まれたところを通らないといけなくて、集中射撃で殺られること確実なのです。
防御力がめっちゃ高いのを実感できるし、小天守から見える大天守とか、連立式だから見える景色が素晴らしいのです。
この写真は小天守の中から大天守を撮った写真ですー
コレが撮れるのは、連立式ならではなんですよねー
☆天守の中でVR城攻めを楽しめる
建物が古いだけでなく、中のエンターテイメントが最新とかスゴイ。
愛媛県出身の水樹奈々さんのナレーションで全4話構成のVR城攻めを楽しめて、松山城の防御力のすごさを体感できますー
いやー、とうとう、城攻めをVRで楽しめてしまう時代が来てしまうとは…
自由に動けるわけではないけど、周りで敵味方入り乱れて戦ってるさまを360度好きに視点を動かしながら楽しめるのはスゴイ。
あと、話にちゃんとオチもついててレベル高すぎで、めっちゃ楽しかったです。
ナレーションが「父上の作られたお城」と言ってるので、松山城作った加藤嘉明の娘と思いきや、実は化けた狸だったというオチ。
なお、なぜか私以外誰もやってなかった…
私は、こーいうのあったら、大喜びでやるんだけど、やらない人が多いのは不思議。
☆天守だけでなく、復元された建物がいっぱいで見応え充分
やぐらがいっぱい復元されてて、天守に行くまでも全然飽きないんですよねー
石垣メインのお城とかもいったけど、やっぱ建物たくさんある方が楽しいのです。
散策めっちゃ楽しかったですー!
この写真は裏口。
裏口の方も楽しめますー
あと、高いところにあるので、景色もめっちゃ良かったですヾ(。>﹏<。)ノ゙✧*。
松山城主・加藤嘉明のお話
松山城では、「よしあきくん」というゆるキャラがいました。
松山城を作ったのは、「よしあきくん」のモデルの加藤嘉明という人で、秀吉と柴田勝家が織田家の後継者を争った「賤ヶ岳の戦い」で活躍した、賤ヶ岳の七本槍の一人でして。
七本槍では、福島正則と加藤清正が有名なせいで「地味な方の加藤」とか言われる不憫な人なのですが、お城見ると「すごい人だったんだなー」と思ったり。
ちなみに加藤嘉明は、城作りの名手で有名な藤堂高虎とは、伊予国を半々に治めてた関係上、めっちゃ仲悪かったらしく。
そんな中で、藤堂高虎が会津への加増国替えを家康から打診された時に「加藤嘉明が適任ですよ」と答えたそうで。
家康が「お前、加藤と仲悪いのに、なんで推薦するの?」と聞いたら、藤堂高虎は「仲悪いけど、それは個人的なことです。私情抜きで徳川家のことを考えたら、加藤が適任ですよ」と答えたそうです。
それが加藤嘉明に伝わって、二人は和解して、その後は仲良くしてたそうな。
いやー、なかなかに良いエピソードですねー
加藤嘉明と藤堂高虎の両方の好感度アップ。
他にも、使用人が10個セットの名器の小皿を1つ割った時に、叱るどころか「中途半端に残ってると、使うたびに誰が割ったという話になって良くない」といって、全部割ってしまって、「名器より仕えてくれる家来のほうが大切」といったそうな
戦国の世とは思えない、めっちゃ良い人だ。
これは上司にしたい武将ランキング上位待ったなしだね!
めんどくさそうな信長よりずっと上司にしたいw
なお、知名度のせいで絶対に上位にはなれない模様。
私は「上司にしたい戦国武将」を聞かれたら、加藤嘉明と答えるようにしよう。
ただ、どーもこの話の出典が江戸中期成立の逸話集らしく、こーいう話ってどこまでホントなのかさっぱりワカランです。
まぁそんなわけで「地味な方の加藤」とか言われるけど、とても寛大で義理堅く、城づくりも上手な有能な人だったんでしょうねー
まぁ、この時代は畜生エピソードの1つや2つないと目立たないから、地味と言われちゃうんだけどね!
でもまぁ、この辺のエピソード知ると、加藤嘉明のことを好きになる人は結構いるはず。日露戦争と明治時代のミュージアム
松山城のあとは、「坂の上の雲ミュージアム」にいってきましたー
ここは、日露戦争を舞台にした司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」のミュージアムなのですが、話を知らなくても普通に楽しめますー
私はNHKでやってたドラマで見てて、小説は未読。
写真OKのところが少なかったので、あまり写真を載せられないのですが
・日露戦争に限らず、明治時代全体の話を取り扱っていた
・はじめて鉄道を作った話が面白かった
・日露戦争で活躍した秋山兄弟と正岡子規の関連人物に関する展示があった
というかんじ。
こちらの写真は、日露戦争の時にロシアのバルチック艦隊が日本海まで来た航路を地球儀に書いてますー
この日本海海戦のエピソード、なかなか興味深くておもしろいのですよ。
ロシア海軍は、ヨーロッパ側からアフリカの喜望峰経由でぐるーっとまわって、7ヶ月かけて頑張って日本海までついたけど、その時はもう乗組員一同疲れてて、船にも貝とか色々付着して速度が落ちてる状態。
一方、日本海軍は待ってる7ヶ月間、延々と射撃訓練し続けて、バルチック艦隊が来るとわかったら、軽量化のために荷物とか燃料とか全部捨てるレベル。
そりゃー日本勝ちますわw
そもそも、ロシアの艦長は「こんなん勝てるわけないだろ!(意訳)」と思ってたそうな(Wikipedia調べ)
ロシア側の水兵の話だと、船内に「日本海軍が航路に潜伏してる」という噂が出回って、精神病になる人がいたり、あらゆるものが日本の戦艦に見えて砲撃してしまったりで、そりゃ艦長も「勝てるわけないだろ!」と言わざるを得ない状況だったらしい…
戦艦の模型とかもおいてましたー
どーでもいいけど「ポチョムキン」って語感がいいですよねー
なんとなくマヌケに感じるけど、活躍した将軍の名前を使ってるんですよねぇ…
正岡子規と記念撮影。
感想としては、なかなか面白かったのですが、お城をじっくり見てたせいで、時間が足りなかったです(。>_<。)
あと、今気づいたのですが、あくまで「坂の上の雲ミュージアム」なので、日露戦争関係の実物が置いてるわけではないんですよねー
模型とか解説とかは日露戦争関係のものとか、明治全般の話で面白いんだけど、実物の展示は「坂の上の雲」の小説に関連するものだけだったよーな。
日露戦争関連の実物に触れたいなら、横浜にある戦艦三笠とか、京都の乃木神社とかに行くのが正解なんですよねー
乃木神社の宝物館は、日露戦争で使った実物がいっぱい置いてて、ものすごかったのですよ。
NHKでやってたドラマの衣装とか置いてたら大喜びで見てたんだけどなー
なお、近くにめっちゃキレイな洋館があったのですが、もう日が暮れていたので行けませんでした。
行った場所はじっくり楽しむせいで、あまりたくさん巡れないんですよねー
・自撮りで忙しい
・風景の写真も撮りたがる
・書いてる文章は基本的に全部読む
・散策したがる
・知識がつけばつくほど、見どころが増えて、1箇所にいる時間が伸びていく
・博物館の人と話せたら長々と話してしまう
という感じなので、通常1時間ですむところが3時間とかザラです(。>_<。)
晩御飯は鯛ラーメン
晩御飯は鯛ラーメンを食べてきましたーヾ(。>﹏<。)ノ゙✧*。
当たり前ですが、めっちゃ鯛味でした。
個人的には、雑炊が当たりでしたー
スープが鯛なので、鯛茶漬けみたいな感じでめっちゃ美味しかったですー!
…ってことは、ラーメンじゃなくて、鯛雑炊の方が良かったのでは?
と思わなくもないけど、まぁラーメン屋だから入ったんでよしなのです!
こんな感じで、2日目の松山もたっぷり楽しめましたーヾ(。>﹏<。)ノ゙✧*。
なお、この後に宇和島に向かったのですが、JR松山駅に出ようとして路面電車に乗ったら、間違えて「松山市駅行き」に乗ってしまいました(。>_<。)
「まぁどーせ近くだろう」と思ったら1キロ以上あって、電車の時間もあって、走って帰ることに…
知らない土地ではこーいうことあるから注意が必要ですねぇ(。>_<。)
次回は3日目の宇和島になりますー
記憶薄れる前に早めに書かねば…
せめて年内に4日目まで終わらせたいものです(。>_<。)
こういう記事のときいつも食べ物の写真の方にばかり目が行ってしまう……
鯛めしも鯛ラーメンも美味しそうです。